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烏骨鶏に導かれ、さいたまへ。40歳のプロボクサー・為田真生が追い続ける「本当の強さ」

大宮
烏骨鶏に導かれ、さいたまへ。40歳のプロボクサー・為田真生が追い続ける「本当の強さ」

プロボクサー・為田真生(ためだまお)さん。

ワールド日立ボクシングジムに所属し、40歳になった今もリングに立ち続けている。そんな為田さんとさいたま市との縁をつないだのは、2羽の「烏骨鶏(うこっけい)」だった。

母親のために飼い始めた烏骨鶏に夢中になり、東京からさいたま市の農園へ毎日のように通うようになった為田さん。さらに現在は、自ら土地を借り、平飼いの養鶏場をつくるという新たな夢も描いている。

一方、ボクシング人生は決して順風満帆ではない。何度もジムを辞め、プロになるまでにも長い時間がかかった。プロになってからも、勝利よりはるかに多くの敗北を経験してきた。それでも、なぜリングに上がり続けるのか。

烏骨鶏との暮らしからボクシングを始めた理由、負けることへの恐怖、そして為田さんが追い続ける「強さ」について伺った。

烏骨鶏がつないだ、さいたま市との縁

――そもそも、どうして烏骨鶏を飼い始めたんですか?

もともとは母ちゃんが「鶏を飼ってみたい」と言い始めたのがきっかけなんです。母ちゃんのお父さん、僕のおじいちゃんの世代は、東京でも庭で鶏を飼っていたらしくて。

母ちゃんも仕事を少しずつリタイアするようになって、「自分も飼ってみたい」と。じゃあ親孝行で買いに行こうかなと思って、僕が2羽連れてきたんです。

最初は豊島区の家の小さな庭で飼っていました。でも、全然元気がなくて。餌は食べるけど、あとはずっとじっとしている。「これはかわいそうだな」と思って、もっと緑のある場所を探し始めたんです。

撮影当日に産んだ卵

――そこで、さいたま市の農園と出会った。

そうです。通える範囲の畑や農園を片っ端から調べて、「鶏を置かせてもらえませんか?」って電話しました。

当然、怪しいですよね(笑)。ほとんど断られたんですけど、緑区にある「栗乃山農場」の農主、水谷高継(みずたにたかつぐ)さんが「いいよ」と言ってくれた。それですぐ建築関係の友達に電話して、「鶏舎を建ててくれない?」って。水谷さんと初めて会った日に、そのまま建て始めました。

栗乃山農場の水谷さんと

――かなり行動が早いですね。

思ったら早いんですよ(笑)。しかも水谷さんが「もっと広くしていいよ」と言ってくれて、最初に考えていたものより倍ぐらいの大きさにしました。

東京にいた頃は、目の前が塀で、その横が家の窓で、ほとんど緑がなかった。それがこっちに来たら、周りは全部緑じゃないですか。そしたら、引っ越してきたその日に卵を産んだんですよ。「環境って、こんなに動物を変えるんだ」とびっくりしました。

――もともとはお母さんのために飼い始めたんですよね。為田さん自身も、かなりハマっています?

もう僕の方が夢中になっちゃいました。世話だけなら、餌を替えたりするだけで5分ぐらいで終わるんですよ。多めに餌を入れておけば、毎日来なくても大丈夫だと思います。

でも僕は毎日来て、3時間とか4時間とか見てます(笑)。餌を食べてるところも、泥浴びしてるところも、たまに喧嘩してるところも、全部かわいい。「こんなかわいい鳥いるのかな」っていうぐらい、ずっと見ちゃいますね。

――毎日となると、お仕事はどうされているのでしょうか。

運送業の仕事をしていたんですけど、辞めちゃいました(笑)。人間、何がきっかけで変わるかわからないですよね。さらには最近、さいたま市内で1300平米の土地を用意できるかもしれなくて。

まだ正式に養鶏場を始められる段階ではないんですけど、いつかそこで平飼いの烏骨鶏場をやりたいと思っています。

土地は草が3メートルぐらい伸びている状態なので、まずはそこを刈るところからですけど。それも含めて、一個一個勉強していくのが楽しいんですよ。今、本当に毎日が充実しています。

「本当に強い男って、なんだろう」

――仕事を辞めてさらには土地まで!すごい決断力と行動力です。今後の展開が楽しみです。ここからはボクシングについて聞かせてもらいたいのですが、始めたきっかけは何だったのでしょうか?

15歳くらいまでは、ずっと野球少年だったんです。かなり真面目に取り組んでいて、中学の時はキャプテンを務めました。

でも中学を卒業する頃からちょっとやんちゃするようになって、高校に進学したのですが、ほとんど行かずに辞めてしまって。それから池袋で夜遊びするようになりました。そういう世界にいると、いろんな人に会います。でも、だんだん思うようになったんですよね。

「結局、ハッタリで何とかなっていることも多いな」って。じゃあ、本当に強い男って何なんだろう。そう考えたときに、ボクシングに興味を持ったんです。

試合の入場風景(写真提供 : 為田真生)

――何か直接的なきっかけもあったんですか?

当時、TBS系で放送されていた『ガチンコ!』という番組の中の人気企画『ガチンコ!ファイトクラブ』が流行っていて、元世界チャンピオンの畑山隆則さんがトレーナーとして出演し、不良や素人の若者たちに本気でボクシングを叩き込むという、内容だったんです。

そこで、不良の子たちに対して「リングに上がったら何もできないだろ」「悔しかったらやってみろ」というようなことを言っていて。

それが、なんだか自分に言われているような気がした。そう思ったら、俺もリングに上がってみたくなって、近隣のジムに行ったんです。

――最初からボクシングには自信があった?

結構ありました。当時は90キロぐらいあって、ウエイトトレーニングもやっていたので、力には自信があったんです。

でも、その自信は入門した初日にあっさり打ち砕かれたんですよ。初日にスパーリングをやることになって、相手は僕より20〜30キロ軽い、高校生のプロ志望の選手でした。

(写真提供 : 為田真生)

――衝撃ですね。

そこで現実を思い知りました。街では風を切って歩いていたのに、リングに上がったら、真面目にボクシングをやっている年下の高校生に何もできない。

「ああ、俺って何もないのに気取ってたんだな」と。それまで自分がやっていたことは、全部ハッタリだったんじゃないかと思いました。それで、「一からやってみよう。本当の強さを追いかけてみよう」と思ったんです。

何度も辞めて、それでもボクシングに戻った

――そこから順調にプロになったわけではないんですよね。

全然です。何回も挫折しています。ボコボコにされて、ジムに行かなくなって、また遊んだり酒を飲んだり。練習がきつくて逃げたこともある。

僕には飛び抜けた才能もなかったし、忍耐力もなかった。何年もそれを繰り返しました。

――それなのに、なぜまたジムへ戻れたんでしょう。

一番最初に思ったことが、ずっと残っていたんでしょうね。本当に強い男になりたい。

それは、喧嘩が強いとか、物理的な強さだけじゃないんです。苦しい練習に耐えるとか、減量を乗り越えるとか、逃げたくても逃げないとか。

リングに立っている人たちは、そういうものを全部乗り越えてきている。「自分も、そこに立てる男になりたい」という気持ちだけは、ずっとなくならなかった。辞めては戻って、辞めては戻って。その繰り返しでした。

(写真提供 : 為田真生)

――その後、輪島功一スポーツジム※でプロになった。

それまで何年もやったり辞めたりを繰り返していたんですけど、最後に輪島ジムが受け入れてくれたんです。そこでトレーナーの方が、本当に親身になって教えてくれました。

スパーリングでやられても、「こう来たら、こう返さなきゃダメだよ」って、一つひとつ教えてくれる。それまでの僕だったら、怒られて「もう帰れ」と言われたら、本当に帰っちゃっていたんですよ(笑)。

でも、そこで初めてちゃんと向き合ってもらえて。そこからは割と早くて、半年ぐらいでプロテストに受かりました。

25歳でプロデビューした遅咲きの元スーパーウェルター級チャンピオン、輪島功一(わじまこういち)が設立したボクシングジム

――プロになってからも、多くの敗戦を経験してきました。それでも続けている理由は?

負けるって、結構恥ずかしいんですよ。ボクシングは勝ち負けがはっきりしているじゃないですか。

大勢の人が見ている前で「あなたの負けです」と結果が出て、その状態でリングを降りる。特にKOやストップで負けると、本当に恥ずかしい。

だから、負けが続けば「次も負けるんじゃないか」「もう一生勝てないんじゃないか」って思います。応援してくれる人を試合に誘うことすら、だんだん嫌になってくる。

(写真提供 : 為田真生)

――それでも、またリングに上がる。

そこなんですよね。恥ずかしい思いをしても、そこに向かっていく方が、半端に粋がっているより自分としてはかっこいいと思うんです。

もちろん、身体に重大な問題が出たら辞めなきゃいけない。でも、「負けたから」「恥ずかしいから」という理由で辞めることは考えていない。僕なりのポリシーがあるんです。

21敗があったから、5勝目があった

――長くボクシングを続けていても、試合前はやっぱり怖さがありますか?

ありますね。むしろ試合が近づくと、逃げたくなるくらい怖いです。今は「次の試合、やってやるぞ」と思っていますけど、当日になれば緊張もするし、リングに上がる直前までいろんなことを考えます。

でも、そういう恐怖に立ち向かうことも含めて、僕にとってはボクシングなんだと思います。昔の自分だったら、苦しくなったら逃げていた。でもボクシングを続けてきたことで、「最後はやるしかない」と思えるようになった。

怖さがなくなったわけではないけど、怖くても向かっていけるようになった。そこは、自分でも変わったところだと思います。

――勝ったときは、やはり特別ですか?

特別ですね。ずっと連敗して、ようやく一つ勝つ、ということが多いので。負けた直後は、本当に苦しい。でも、そのあと勝てたときに「あの負けも財産だったんだな」と思えるんです。

今年4月にようやく5勝目ができましたけど、もしその前の負けで辞めていたら、当然5勝目はなかった。だから勝つと、結構うるっときちゃうんですよ。「ああ、続けていてよかったな」って。

現在、所属しているワールド日立ボクシングジムの外観(写真提供 : 為田真生)

――負けた時間そのものの意味が変わる。

そうですね。僕の場合、勝つより負ける方がずっと多い。その何回もの負けで恥ずかしい思いをしても、一回勝つことで「あれも無駄じゃなかったんだ」と思える。

デビュー戦もKO負けでした。でも、そのデビュー戦から全部があって、今がある。何でもそうだと思うんですけど、忍耐って大事なんですよね。簡単にはうまくいかない。

恥ずかしい思いをしても我慢しなきゃいけないときがあるし、それでも続けなきゃいけないことがある。それをボクシングに教えてもらった気がします。

「ボクシングをやり切った」と思える日まで

――最近は、さいたま市の農園の周りを走っているそうですね。

めちゃくちゃ走っています。東京にいた頃は5〜7キロぐらいだったのが、今は10キロ、20キロ走ることもあるんです。

栗山とか畑の周りを、ずっとぐるぐる走っています。広い緑の中を走っていると、気づけば自然と距離も伸びていて。なんとなく強くなれるような気もするんですよね(笑)。

今までの試合前と比べてもかなり走れているので、そこは自信になっています。

ハンマートレーニングの風景

――烏骨鶏のために通い始めたさいたま市ですが、気づけば為田さん自身の生活も大きく変わりましたね。

そうですね。最初は烏骨鶏のために環境を探していただけだったんですけど、毎日のようにここへ通うようになって、仕事も辞めて、今では養鶏をやってみたいという新しい目標もできました。

本当に、烏骨鶏がきっかけでここまで生活が変わるとは思っていなかったですね。

――為田さんにとって、ボクシングのゴールはありますか?

「チャンピオンになります」なんて簡単に言える立場ではないですけど、まだ自分はもっと強くなれると思っているんです。もっと勝てると思っているし、まだ上に行けると思っている。だから、今は辞める理由がない。

ただ、自分の中で「もうこれ以上はない」「ボクシングをやり切った」と納得できたら、そのときは終わりだと思います。

――次戦は、以前敗れている吉野健二(よしのけんじ)選手との再戦です。

前回は判定で負けています。でも一度戦っているので、相手の特徴も前よりわかっています。もちろん、向こうも僕のことをわかっていると思いますけど。

前回の対戦で感じたことも踏まえながら、今回はより具体的に相手をイメージして準備しています。しかも今回は、勝てば自身初の日本ランキング入りにつながる大切な一戦です。ここからが、本当にボクサーとしての勝負だと思っています。

ランキング入りがかかった大事な試合なので、いつも以上に気合が入っています。そこを見てもらえたら嬉しいですね。

為田真生(ためだ まお)

〈インタビュアー・文・撮影:菊村夏水

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