美味しくてより清潔な自然栽培の野菜を。『うみのいえファーム』が自然栽培の裾野を広げていく

「人も野菜も早期発見、早期治療が大切なんです」
『うみのいえファーム』齊藤忍(さいとう しのぶ)さんの、野菜を見る目はとても注意深い。
前職は「臨床検査工学技師」で、病院や医療機関で高度な医療機器のトラブル対応や、オペ室、ICU等では患者の生命維持に関わる装置の操作を担当していた。
一つのミスも許されない緊張感のある現場で培った観察力が、今は野菜作りで発揮されている。

一昨年の4月に農業大学校(※1)を卒業。
現在は新規就農を目指し、さいたま市が運営する「明日の農業担い手育成塾(※2)」で研修を受けながら、岩槻区にある畑で野菜を作っている。
「借りたタイミングで、5年くらい使われていない畑だったんです。農薬が抜けきっていると思い、自然栽培に挑戦しています」
農法の一つである自然栽培は、農薬や肥料を一切使用しない。
環境への負荷が少なく、土本来の力を活かせることで野菜の旨みを引き立たせることができる。
その反面、雑草や害虫対策が大変であったり収穫までに時間がかかるというデメリットがある。
「農薬を使用する場合に比べ収穫量は半分程度で、場合によっては全滅してしまうこともあるんです。大変なことも多いですが、お客様から『美味しかった』と言ってもらえると、また頑張ろうと思えるんですよね」
真夜中に現れる害虫を駆除するために、自宅のある越谷市から車で約30分かかる畑に足を運ぶこともしばしば。
「懐中電灯を付けて作業していたら近所の人に野菜泥棒と疑われたのか、通報され職質を受けました」と苦笑する齊藤さん。
仕事に向かう真摯な姿勢とワイルドな見た目、話した時の物腰の柔らかさと笑った時の優しい表情のギャップがとても魅力的な人だ。
※1 農業に関する専門的な知識や技術を学ぶことができる教育機関です。主に都道府県が運営しており、農業の担い手や次世代の農業経営者を育成することを目的としています。
※2 自立農業経営を目指す新規就農希望者に対して、就農希望地で確実に就農できるよう支援する埼玉県独自の制度。埼玉農業の担い手を確保・育成するため、市町村、農協、農業委員会、県農林振興センター等の関係機関が一体となって、技術研修・農地の確保・資金相談等就農支援を行っている。

専門学校の臨床検査科に入学し、その後、四年制大学の臨床工学科に編入・卒業。
臨床工学技師としての道を歩み始めた。
「人の命に関わる仕事に携われたことは、本当に尊い経験でした」と話すように、緊張感のある職場ながら、仕事の時間はとても充実していたという。
その一方で課題に感じることもあったそうだ。
「長年の現場経験の中で、深夜帯の透析を提供できる場所や観光透析(※3)を受けられる場所が少ないなと思っていました」
課題を解決するため、新たな透析クリニック作りに奔走した。
開業には多大な資金を必要とするため、最終的には仕事も退職し全ての時間とエネルギーを注ぐ日々。
ようやく実現できるという目処が立ったタイミングで、ある出来事が起こった。
「保険点数の改定が行われたんです……。医療や介護サービスの報酬を決める点数の変更で、収益に大きく影響します。これにより開業資金を回収する目処がつかなくなりまして……。」
同時期にプライベートでは離婚をすることに。
積み上げてきたさまざまなことが白紙になり途方に暮れた。
そのタイミングで頭に浮かんできたのが、農家の道だったという。
※3 旅行や観光をしながら透析治療を受けることができる医療サービス

10代はアメリカンカルチャーに夢中になり、スケートボードやDJに熱中。
やがて、ストリートからアウトドアへと興味が広がり、20代ではサーフィンにのめり込んだ。
サーフィン仲間には農業に従事している人が多く、次第に農業が身近な存在になっていった。
そんな中、あるとき『ビーチクリーン』のイベントに参加。
海を守る活動を通じて、自然の大切さを改めて実感すると同時に、自然に関わる仕事の尊さにも気づかされたという。
「その頃の経験もあって前職で働いている時から、いつかは自然に関わる仕事に就きたいという気持ちがなんとなくあったんですよね」
また、別々に暮らすことになった娘さんに自然の楽しさや大切さを感じてもらえる場を作りたいという思いが強くなったことも、今の道を選ぶ大きなきっかけになったという。

生まれ育った越谷市での就農を夢見て、兵庫県芦屋市から地元へ戻ることを決意。
農業大学校で有機農業を一から学び、着実に準備を進めていたが、卒業が近づくころ、思いがけない事情が重なり、越谷市での就農を断念せざるを得なくなった。
その状況を農業大学校の仲間に相談したところ、提案してもらったのがさいたま市での就農だった。
「偶然にも市外からの受け入れが可能で、タイミングも良かったです。市の職員の方も快く受け入れてくださり、さいたま市の研修制度の充実ぶりには本当に助けられています。現在所属している若手有機農家グループ『さいたま有機都市計画』の皆さんをはじめ、有機農業の先駆者が多くいらっしゃって、困ったときに気軽に相談できる環境が整っているんですよ。今では、さいたま市で就農できて本当に良かったと感じています。」
現在の場所で畑を借りることができたのは「住まいのある越谷市に近い場所で」という、さいたま市の職員の方の計らいがあったからだそう。

野菜を育てる上で、人一倍気を遣っているのが衛生面だ。
コストはかかるが野菜ごとにビニールの手袋を変えたり、野菜が泥によって痛むことを避けるため、収穫後に出来るだけ早く洗って袋詰めをする。
筆者自身、自然栽培の野菜といえば「泥や虫がついてるのもご愛嬌。むしろそれが自然栽培の証である」というイメージを持っており、自然をダイレクトに感じることが出来るそんな要素に魅力を感じていた。
ところが齊藤さんは美味しいことはもちろんのこと、より清潔であることに重きを置いている。
「医療者として従事していた時に、余命を宣告された方が少しでも長生きするために無農薬の野菜を探していたんです。ですが、その当時は今ほどに流通していなくて。僕が作ることで手に取れる可能性が高まりますし、その野菜がより清潔であれば身体が弱っている人でも安心して食べられると思うんです」
より清潔な状態でお届けすることは、今までさまざまな事情で手に取れなかった人が、自然栽培の野菜を手に取るきっかけになるのではないだろうか。
齊藤さんが、自然栽培の野菜の裾野を広げる役割を担っていく予感がした。

昨年の7月、かねてより取り組んでみたいと思っていたことが結実した。
「離れて暮らす娘が農園に遊びに来てくれて。収穫から配達までの一連の作業に取り組んでもらいました。『お父さんのお仕事とってもいいねー』と言ってもらえて、すごく嬉しかったんですよね」
娘さんだけでなく、畑の近所に住んでいるお子さんに農業体験をしてもらう機会が増えてきたという。
「やっぱりこの辺りに住んでいると、自然と関わる機会が少なくなってきているのかなと感じますね。農業体験を通して自然に触れる大切さや楽しさを感じてもらえたら嬉しいですし、その中から一人でも農家を目指してくれたら本望ですね。『昔、髪が長い変なおじさんの畑で、ジャガイモ堀りをしたのが忘れられなくて』みたいな(笑)」
一歩一歩、着実に歩みを進める齊藤さん。
将来的には、人が集まる場としての役割も担う、自然栽培の野菜を使った料理を提供するレストランを開きたいと考えているそうだ。

ロゴに羽を描いたのは、鳥が種を運ぶさまに魅力を感じたから。
うみのいえファームがこれから地域にさまざまな種を運び、撒いていきそうだ。
その種から芽が出て、どんな花を咲かせていくのか楽しみである。

- 農園名: うみのいえファーム
- 所在地:さいたま市岩槻区
- お問い合わせ先:InstagramのDMより
- SNS:@uummii.ss
〈インタビュアー・文・撮影:菊村夏水 〉
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