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大宮から世界へ。ヒップホップソウルを受け継ぎ、新たなカルチャーを探求・開拓していく。 プロフリースタイルバスケットボーラー / きよまろ

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大宮から世界へ。ヒップホップソウルを受け継ぎ、新たなカルチャーを探求・開拓していく。 プロフリースタイルバスケットボーラー  / きよまろ

地元である大宮を拠点にプロフリースタイルバスケットボーラーとして活動するきよまろさん。

フリースタイルバスケットボールを初めて11ヶ月で18歳以下の全国大会で準優勝。2022年6月から本格的に取り組み始めたYoutubeの登録者数は3ヶ月で10万人を超え、総再生数は半年でトータル1億回を記録した。

2023年の3月にはプロフリースタイルバスケットボーラーチーム『Buzz Light Baller』(バズライトボーラー、以下BLB)の一員として「さいたま観光大使」に就任し半年で30回以上の地域イベントに出演。

目覚ましい活躍を見せるきよまろさんだが、その裏にはさまざまな逆境を味方に変える地道な努力と積極的な行動があった。

今回は「世界一のエンターテイナーになり地元に貢献したい」というきよまろさんに、大宮を拠点に活動する理由やフリースタイルバスケットボールを始めた経緯、今後の展望を中心にお話を伺った。


始めて3ヶ月。転機となった世界チャンピオンの前でのパフォーマンス

――本日はよろしくお願いします!きよまろさんは現在、大宮を拠点に活動されていて、生まれも育ちも大宮とお聞きしました。

きよまろさん : はい、大宮で生まれて5歳から2年間熱海に住んでいた時期以外はずっと大宮に住んでいますね。
先祖代々、明治時代から大宮氷川山道沿いにある料亭・結婚式場を営んでおりまして。

―― 大宮との縁が深い家庭で育ったのですね。大宮にストリートカルチャーのイメージはあまりないのですが、フリースタイルバスケと出会ったきっかけは何だったのでしょうか?

きよまろさん : 僕の父が若い頃にブレイクダンスをやっておりまして、いわゆるB-Boy※1 でヒップホップの文化が日本で流行り始めた初期の頃に携わっていた1人なんですよね。

「B-BOY PARK」という1997年から2017年まで、毎年夏に代々木公園の野外ステージで行われていた日本最大規模のヒップホップのブロックパーティがあったのですが、その発起人で日本のラップシーンの先駆者である「CRAZY-A」さんは父の仲間の1人なんです。

僕は幼い頃から父に連れられて毎年「B-BOY PARK」に通っておりまして。
中学2年生の時にそこで初めてフリースタイルバスケを見たんです。

※1 ヒップホップ文化の4大要素であるブレイクダンス、グラフィティ、MC(ラップ)、DJなどをする特に男性のこと

左手側が『Buzz Light Baller』メンバーの一人、Jさん。右手側がきよまろさん。

――そこからフリースタイルバスケを?

きよまろさん : いえ、その当時は部活のバスケに夢中で、高校に進学してからもバスケ部に所属していました。
ですが、高校の部活のルールや規則にうまく馴染めず、一年生の夏で退部しまして。

ちょうどその頃、ストリートバスケをしに代々木公園には通っていたのですが、徐々にバスケ自体よりもボール回しを始めとした「技」に興味を持つようになったんですよね。

そこから色々と調べるようになって、フリースタイルバスケの個人で表現をして完結できる点やオリジナリティのある動きに魅力を感じて自分でも技に取り組み始めたんです。

ただ部活を辞めた直後ということもあり、周りの人にやり始めたことを言えず家の前で練習をする程度でした。

その様子を見兼ねてか父が「昔の仲間がやっているオヤジブレイカーズ※2 が主催するイベントにフリースタイルバスケのチャンピオンが出演するからお前も見に行かないか?」と誘ってくれたんです。

※2ヒップホップ創世記のキーマンたちが中心となって活動するグループ

――生で見たフリースタイルバスケのパフォーマンスはいかがでしたか?

きよまろさん : めちゃくちゃかっこよくて、今までに感じたことのない衝撃を受けたんですよね。
他にもフリースタイルフットボールの世界チャンピオンのTOKURAさんやブレイクダンスの世界チャンピオンのTAISUKEさんが出演していてとても刺激的な時間でした。

イベントの終盤にサイファー※3 があったのですが、父親に「ボール持ってきてんだろ?パフォーマンスしてこいよ」と言われて。

フリースタイルバスケを初めて数ヶ月だし人前でパフォーマンスをした経験もなかったので、最初は躊躇していたのですが、半ば強制的に父親に背中を押されて、サイファーの輪の中に気づいたら立っていました。

やるしかないと思いパフォーマンスしてみたら、想像以上に自分のやりたいことを表現できたんですよね。
しかもイベント終わりにフリースタイルバスケの世界チャンピオンの方に「めっちゃよかったよ。頑張って続けろよ!」って声をかけてもらえてすごく嬉しかったです。

それだけでなく、今は1人で練習をしていることを話したら、SNSで僕の同年代の人が一緒に練習する仲間を募っていることを教えてくださったんです。

後日調べてすぐ連絡して、1週間後には駒沢公園での練習に混ぜてもらっていました。そこで出会ったうちの何人かが今のBLBのメンバーなんです。

※3 複数人が順番にパフォーマンスをすること

パフォーマンスを通して人を喜ばせることに目覚めた原体験

――練習に混ざってみていかがでしたか?

きよまろさん : 最初にフリースタイルバスケの基礎的な部分を教えてもらえてありがたかったですし、何より仲間がいると練習のモチベーションも上がるんですよね。

ただ一緒に練習はするのですが、基本的に個人でそれぞれがオリジナルの技を磨いていましたね。

フリースタイルバスケの魅力の一つなのですが、誰かに技を教えてもらったり、誰かの技を真似するというよりはみんな自分なりのスタイルや動きを探求するんですよね。

それぞれのバックグラウンドや体格、趣味嗜好によってそれぞれの表現があってそれを受け入れ合うし、楽しみあえるんです。

父親もブレイクダンスは誰かに教わった訳ではなく、初めて自分の表現を突き詰めていったと話していて、ヒップホップ全般に通ずる考え方なのかもしれません。

―― 仲間と切磋琢磨する中で、初めての人前でのショーはいつ頃だったのでしょうか?

きよまろさん : 一緒に練習していた仲間とで頻繁にサイファーをしていましたが、初めて人前でショーをしたのは通っていた高校の文化祭でした。

生徒が任意でステージでダンスや漫才を披露出来る時間があったんですよ。

ただフリースタイルバスケを披露した前例がなく、文化祭の担当の先生の反応がよくなかったのですが、どうしたらステージが盛り上がるかを前提にして構成を練った企画書を作り込んでプレゼンをしたら通って、無事にパフォーマンス出来ることになったんです。

―― すごい行動力ですね。実際のパフォーマンスはいかがでしたか?

きよまろさん : 冒頭で学校で人気のあった書道部の先生に冒頭で登場してもらい、指でボールを回してもらうパフォーマンスを披露したらすごく盛り上がって(笑)。

そこからはみんなのノリの良さもあり終始盛り上がっていて、すごく楽しかったです。

書道部の先生が指でボールを回している様子

終わった後に、僕がやりたいのはこうやってパフォーマンスをして、多くの人を喜ばせることだと心の底から思いましたね。

小学校4年生の頃に全校生徒を前に自分で書いた台本で演劇をやった時の高揚感が蘇ってきました。

――小学校4年生で台本を書いていたんですか!その頃から構成を考えたり人を喜ばせることが好きだったのでしょうか?

きよまろさん : 幼少期はドリフが好きだったので、その影響かもしれません。ドリフのコントって子供が本当に腹を抱えて笑うんですよね。

おぼろげですが僕もそんな存在になりたいなと子供ながらに感じましたし、どうしたらみんなが笑うのかを自然と吸収していたと思います。台本を書くきっかけは小学校四年生の時に学校のクラブ活動で「演劇エンターテイメントクラブ」に所属したことでした。

当時好きだったアニメ『キン肉マン』の歌詞の中に「エンターテイナー」という言葉が出てきて、聞いた当初は意味が分からなかったのですが、惹かれるものがありました。

そしたらクラブ選びの時に「エンターテインメント」という言葉があったので、興味本位で入ってみたんですよね。

活動の中で演劇の台本を書いてみたらみんな面白がってくれて。本番でも多くの生徒が楽しんでくれている様子を見て、めちゃくちゃ嬉しかったんですよね。

――小学校4年生の時の経験が現在の活動の原点になっているのですね。文化祭の後はパフォーマンスを披露するような機会はあったのでしょうか?

きよまろさん : 高校生の時はあまりそのような機会はありませんでした。

フリースタイルバスケはショーと同じくらいバトル※4 が人気で、文化祭の時期以外は基本的にバトルに注力していましたね。

ありがたいことに高校3年生の時に、18歳以下のバトルの全国大会で準優勝することも出来まして。

※4 一対一で各々がパフォーマンスを披露しあい勝敗を決めるコンテンツ。

チーム結成直後の新型コロナウイルス感染拡大

―― 全国で準優勝!すごいですね。他の人よりフリースタイルバスケを始めた時期は遅かったと思いますが、準優勝できた要因は何だったと思いますか?

きよまろさん : 正直、スキルでいえば周りより劣っていたと思いますね。ですがスキルの高さを見せる人が多い中、僕は「どうしたら会場が盛り上がるか」を意識してパフォーマンスの構成を練っていましたね。

―― バトルでありながら、ショーのようにいかにみている人を喜ばせられるかを考えていたのですね。

きよまろさん : そうですね。他のプレイヤーとは毛色が違っていた中で、それを面白がり評価してくれた審査員の皆さんや会場の方には本当に感謝したいです。

新たな発想や考え方を快く受け入れてくれるフリースタイルバスケの文化が余計に好きになりましたね。

―― その後、大学に進学された後はどのような活動をされていたのですか?

きよまろさん : 師匠のNOCKさんと2人で『Good Flow Only 』というチームを組んで活動するようになりました。この時に師匠からチームの大切さを教わりましたね。

本当に刺激的な日々で大学2年生の時に台湾で行われた国際大会では、優勝することもできて。ですが、それを一区切りとしてチームは活動休止をしました。

優勝した際の様子

―― 優勝をして、これからという感じもしますが、なぜ解散されたのでしょうか。

きよまろさん : 「同世代の奴らとチームを組んでフリースタイルバスケを盛り上げてくれ」と。

師匠はフリースタイル業界にとって、下の世代からの突き上げが大切だと感じていたのかもしれません。
師匠からはチームにおいて『感覚の共有が出来ていること』が大切だと教わりました。

フリースタイルバスケットに対する考え方や価値観が近かったり、日頃から時間を共有することが「感覚の共有」につながると思うんですよね。

それで初期の時期に一緒に練習をして切磋琢磨しあっていた仲間に声をかけたことがBLBを組むきっかけでした。

――大宮を拠点に活動されるようになったのはなぜだったのでしょうか?

きよまろさん : 僕が大宮を拠点にしつつ全国や世界で活躍することで、地元を盛り上げたり地元にストリートカルチャーを根付かせるきっかけになりたいなと思いまして。

他のメンバーは他の地域出身なのですが、わざわざ大宮に引っ越してきてくれて。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

―― チームでの活動はいかがでしたか?

きよまろさん : 実はチームを結成してからすぐに新型コロナウイルスの感染が拡大し始めてしまって。

パフォーマンスをする機会が一切なくなり、外で練習するのも引け目を感じるような状況になりました。

その中で出来ることをとにかくやろうと思い、SNSの「TikTok」を始めたのはその時期で。思っていたよりスムーズにフォロワーが伸びて、2ヶ月で2万人くらいになったんですよね。

―― おお!それはすごいですね。

きよまろさん : それ自体はとても嬉しかったのですが、一向にパフォーマンスを披露する機会はなく、チームとしてのモチベーションや今後の方向性についてかなり悩みました。

僕個人としても大学生で時間があるこの時期にたくさんのショーに出て、知名度を高めたり研鑽を積みたいと思っていたのでもどかしかったですね。

このままじゃ埒が開かないと思い、具体的なビジョンはあったわけではなかったのですが、パフォーマンス修行と状況打破のために、フリースタイルバスケの聖地であるカナダにいく事にしたんです。

――それは大きな決断ですね。実際に行ってみていかがでしたか?

きよまろさん : カナダ行きを決断した時期に『Youtube』を始めたのですがちょうど、Youtube Short※5が実装されたタイミングでした。

TikTokで学んだノウハウを活かして、カナダで動画を撮って公開したらありがたいことにバズり、3ヶ月でチャンネル登録者数が10万人近くになり、総再生数が半年でトータルで一億を超えまして。

目にみえる数値として結果を残すことが出来たのはすごく良かったですね。

※5 最大60秒までの縦型の動画を投稿・閲覧できる機能

また、パフォーマンスに対する考え方が大きく変わるきっかけにもなったんですよね。

カナダに行くまでは、自分の面白いと思うパフォーマンスをして相手を喜ばせようとするという考え方がまだ強かったのですが、言葉が通じず文化も全く違うカナダでは自分のエゴばかり押し付けても喜んでもらえないと肌で実感したんですよね。

目の前の相手に真摯に向き合って、どうしたら喜んでもらえるかを考えるようになりました。

本当はワーキングホリデーを利用して一年以上行くつもりが、コロナの関係で観光ビザしか取れず4ヶ月の短期滞在だったのですが、本当に大きな経験となりましたね。

青天の霹靂だった「さいたま観光大使」のオファー

―― 帰国後はどうされたのでしょうか?

きよまろさん : まだまだ修行が足りないと思い、四国にお遍路に行きました。
ドリブルをしながらお遍路※6をして、その様子をSNSで公開したんです。

ありがたいことにSNSのフォロー数や登録者数を伸ばすことができましたし、何より自分の精神と肉体を鍛える時間となりました。

「さいたま観光大使」のお話をいただいたのは、お遍路を終えて大宮に戻ってきた矢先の2023年の3月のことでした。

※6  約1200年前に弘法大師(空海)が修行した88の霊場をたどる巡礼のことで、その道のりは1300kmにもおよぶ。すべての札所を巡拝することで願いが叶ったり、弘法大師の功徳を得られるといわれている。

――実際にお話をいただいた時はいかがでしたか?

きよまろさん : 地元の大宮を盛り上げたいという想いを持って活動していたので、素直に嬉しかったですね。

また、僕がカナダやお遍路に行ってる間はチームで活動ができず迷惑をかけていた仲間に、少しは報いることができたのかなと思いホッとしました。

―― 実際にはどのような活動をされているのでしょうか?

きよまろさん : 市が企画や運営をしているイベントに呼んでいただきパフォーマンスをしています。
それ以外は基本的に活動内容は決まっておらず、各人でSNSなどを通して市のアピールをして欲しいという要望をいただいています。

ただ、個人的に市民の人に自分たちの存在をまず知ってもらいたいなと思ったので、市の方に許可をとって各区の区長の方に挨拶をしにいかせていただきました。

実際に挨拶に行くと、皆さん暖かく受け入れてくださって、「ぜひ区民祭りを始めとした区のイベントに出演してほしい」というオファーをくださいまして。

2023年の下半期は毎週のように市内のイベントに出演させていただきましたね。
それまではコロナウイルスの影響で一年に一回程度しかパフォーマンスをする機会はなかったので、とてもありがたかったです。

――パフォーマンスをしてみていかがでしたか?

きよまろさん : 区やイベントによってお客さんの層や趣味嗜好が異なるので、大変な面もありつつ自分たちの腕を磨く貴重な機会となりました。

イベントを重ねるにつれて、さいたま市内の老若男女にウケるパフォーマンスのバリエーションが出来た実感がありますね。

2023年は多くの市内の人に知ってもらえたかなと思いますので、2024年は市外のイベントに出演する機会を増やして、僕たちやさいたま市のことをもっと多くの人に知ってもらいたいなと思っています。

「世界一のエンターテイナー」になり大宮に貢献する

―― チームとして2024年、力を入れて取り組んでいきたいことはありますか?

きよまろさん : もっと世の中に自分たちのことを知ってもらうため、SNSに注力したり、ギネスに挑戦したいと思っています。

これは2024年に限らず長期的な視点での話になりますが、自主イベントの規模を拡大していきたいですね。

僕たちは昨年、大宮で「B-FRONTIER」というフリースタイルバスケをメインとしたヒップホップカルチャーのイベントを開催したのですが、2024年は他の地域での開催を計画しています。

当日の様子

「B-FRONTIER」には新たな可能性を探求し、開拓していくという意味合いを込めています。

僕が父や師匠のNOCKさんを始めとした先人から受け取ってきたヒップホップソウルを同世代と一緒に新たなカルチャーとして昇華させ、次の世代に引き継ぐことが恩返しだと思っているんですよね。

徐々に開催場所を増やし規模を拡大し、最終的には代々木公園で「B-BOY PARK」のようなイベントを開催したいなと思っています。

――個人として今後の目標はありますか?

きよまろさん : 個人的には「世界一のエンターテイナー」になりたいと思っています。

僕はやっぱり人を楽しめることがすごく好きですし、やるからには出来るだけ高みを目指したいんです。

『アメリカズ・ゴット・タレント』という米NBCネットワークで放送されている公開オーディションのリアリティ番組があるのですが、そこで優勝することが世界一のエンターテイナーと認知される一つのきっかけになると感じているので、今はそこに出演するために日々パフォーマンス力を上げるための練習や舞台経験を積み重ねたり、認知度を高めるためにSNSに取り組んでいます。

大宮出身の世界一のエンターテイナーがいるということが、大宮に新たなカルチャーを根付かせたり、貢献することにもつながると思うんですよね。

――きよまろさんの今後がとても楽しみです…!本日はありがとうございました!

プロフリースタイルバスケットボーラー / きよまろ

〈インタビュアー・文・撮影:菊村夏水

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